2022年1月17日月曜日

月の兎

初もうでやお墓参りで手を合わせて

神や仏にお願いをすることがある。

人間っていい加減都合よく出来ているね。

私は神様はいらしゃると思う。

でも宗教は信じない。

本当は神はひとりなのに、

人間(教祖)の考え方で多くの宗教と教派を生み出し

世界を混乱に陥れているから。

自分が正しい、相手が悪い などと

考えの違いを認めないから

世界から戦争は無くならないのだ。

隣人を愛せよ と唱えながら

これは聖戦だ などと平気で言う。


金で解決しようとするのも嫌なところ。

免罪符しかり、寄進しかり。

そもそも、寄付やお布施は

自分のこころづけであるべき。

家の格がどうたらで、

金額を指定され強制されるのはおかしい。


なんだかなあ

と思いつつ、いつもお供えやお布施を出している。

そんなときに思い浮かぶのが

「月の兎」というインド仏教のお話。


猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。 (以上Wikipediaより引用)


私が読んだものは子供向けの童話でしたが、

概要は↑のようなものでした。


信心を試そうとする、

神様自身もちょっとなあ…なお話。

この人間臭さに唖然とする。

(もともとインドの神様は容赦がありません。

そして、そのお話を作ったのは人間ですから)


とにかく、宗教は人を救うようでいて

金縛りにかけているような気がします。


母はT教のお供えのために

大量の野菜を作っていたのだが

身体が思うように動かなくなった今、

十分な量が確保できないことに不安を抱えている。

月参りにこられた宗教家に対し

少なくて申し訳ない と言い訳。

お供えの量で救われるわけではなかろうに。


とりあえず、

豆類の植えつけは代行しましたが、

その後の夏野菜はどうしましょうか。

きっと沢山植えて沢山収穫したいのでしょうが

私は兎にはなれません。



凄い人

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